見たことのない景色 その9

見たことのない景色

僕の目が少しくらんだ。

白い光が差したその先には光り輝くタージマハルがあった。

真っ白だ。

インド人もみんなここで写真を撮っている。

僕も撮ろう。

旅行雑誌のようにはうまく撮れなかったが僕が見たものとして記録した。

何回修復したのだろう。

経年劣化もあるだろうからずっとこのままではなかったはずだ。

1632年に着工し1653年に完成している。

21年の歳月をかけてその当時の最高の材料と建設技術を使った作品だ。

遠くにいるのに僕は見とれてしまった。

他人から見ればただボーッとしている男だっただろう。

感動したというのはこういうことをいうのだ。

カイト君もスマホで写真を撮っていた。

インドに来てからは早かったがここに来るまで色々と準備したりしたことを考えると改めて来て良かったと思った。

僕たちは建物に近づいた。

そしてまたカメラを手に取り写真を撮った。

何回も撮った。

もう来ることはないだろう。

そう思いながら素人なりに頑張って撮ってみた。

僕は一度振り返り先ほど外で並んでいた人たちはどうしているのだろうと思った。

あれだけの人がいればこの中にもっと人がいてもおかしくないはずだ。

おそらく入場制限でもしていたのだろう。

とりあえず少し多めのお金の支払いと外国人ということで早く入れてもらった。

この時も日本人で良かったと思った。

カイト君は中を見ていた。

タージマハルの中に入れるらしい。

僕たちは並んだ。

ここはさすがに多くの人が並んでいる。

この中に何があるのだろうか。

「この当時の王様がこの中で眠ってるみたいですよ」

カイト君は本を見ながら言った。

僕はこの豪華な造りの建物に魅了されていた。

もうすでに亡くなってしまったが僕の父親は建築関係の仕事を1人でやっていた。

子供の頃によく手伝いにも行った。

一般家庭のオーダーメイド住宅を作っていたのだと思う。

彼は毎日図面と睨めっこしていた。

僕には何のことだかよく分からなかったが書いては消しての繰り返しだったと思う。

あれから30年近くが経ち今でも彼が作った家のなかで人が生活していると思うと少し尊敬できる。

しかし彼は仕事以外がだらしなかった。

当時の僕から見てもだらしなかった。

僕は顔は母親似なのだと言われているが性格は父親似なのかもしれない。

こんな人間は結婚してはいけないのだ。

そんなことを思っているうちに僕たちの順番がきた。

カイト君が係の男に止められた。

カイト君は小さいリュックを背負っていた。

これが原因で止められたらしい。

このリュックを置いていくわけにはいかないし係の男も預かってはくれないみたいだ。

「これは仕方ないから僕が先に行って帰って来たらリュックを僕が預かってカイト君が中に行くと良いよ」

そう言ってカイト君が待つこととなった。

僕は中に入って行った。

正直言って暗いし柵で囲まれているお墓を見ても何も感動しなかった。

この王様はずっとここで眠っていて観光客にお墓を見られてここにいるのだろうか。

建物自体は彼の凄さを感じるし人々が長い時間をかけてでもここに来る理由は分かる。

しかし当の本人はこれを本当に望んでいたのだろうか。

僕だったら嫌だな。

俺は凄いんだぞアピール出来てもこの暗闇で永眠するのは嫌だ。

少しだけ王様を不憫に思った。

死んでしまえばどうなろうと知ったことではない。

自分の死に対してでもそう思える。

こういうお墓に入りたい、この人と一緒のお墓に入りたいというのはない。

死んだら何も残らないからだ。

そんなことはないと他の人は言うかもしれない。

今まで亡くなって来た人の残して来たものがあるから今という文明が残っているのだ。

その通りだが僕に関して言えば何も残していないし人類の役にもたっていない。
僕が死んでお墓がないようだったら骨をどこかに撒いて欲しい。

そう思う。

出口を出たらカイト君が待っていた。

「早かったですね」

カイト君はそう言って僕に申し訳なさそうにリュックを渡した。

カイト君が内部を見学している間に僕はずっとタージマハルの大理石を見ていた。

「遠くから見ると真っ白だったけど黒ずんでるな」

独り言を言ってしまった。

触ってみると黒ずみが取れるところもある。

排ガスのせいではないかと思う。

インドのオートリクシャーや昔の車は平気で黒い煙を出しながら走り渋滞中も街は煙で覆われる。

日本の排ガス規制ではありえないことだと思う。

この街があったから立派な建物を作ったのか、この建物があったからこの街ができたのかは分からないが観光という外部からお金を入れることへの難しさを感じた。

当たり前だが観光業界はこのタージマハルというものを餌に世界中からお金を落としてもらっている。

しかし見に来る側も受け入れる側も何らかのルールは必要だと思った。

何でもありではない。

タージマハルはこの中心にある建物だけではない。

両サイドにも建物がある。

同じ造りのようで少し小さい。

何かを意味しているのだろうか。

僕には意味は分からなかったが美しいということだけは分かった。

今みたいに建築技術があればもっと凄いものは建設できたと思うが当時だったからこんなにお金を使って人々の反感を無視してまで出来たのだと思う。

これを今の日本で作れと言ったらデモが起きそうだ。

税金を無駄に使うなと国民に怒られるだろう。

当時の王様だから出来たのだと思うし本当に作ってしまったのは凄い。

タージマハルがここに存在している。

それが全てである。

つづく。

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