フィリピン駐在者、コロナ禍に日本へ帰国する。

フィリピン

僕はフィリピンのある工場に駐在して約5年が経とうとしている。

2020年前半くらいまでは日本に帰国することなんて前日に決めても問題なかった。

しかし、2020年3月から状況は一変した。

世界的なコロナウィルスの蔓延により帰国することが非常に困難な状況になってしまった。

僕も2020年1月からはフィリピンに居続けていた。

「1年くらいすれば元に戻るだろう。」

なんとなくそう思っていたがその考えは甘かった。

厳しい外出制限が社員の出社率を下げ、今まであった仕事もどんどん遅れ、そして減っていった。

経済活動と人の命を天秤にかけるのはいかがなものかと思うが僕は人の命を選択することだと思いしばらくは我慢した。

会社の数字がみるみるうちに悪くなり日本からも厳しい言葉が多くなった。

そんなフィリピンの状況に本社が我慢できなくなったのか「1回帰国して話をしよう。」と言われた。

せっかく言ってもらったのだから帰国することにした。

フィリピンの様々な役所にこの会社の日本人が一時帰国するからトラベルパスを発行してほしいとリクエストしたり出国72時間以内のPCR検査の陰性証明を発行してもらったりとかなり忙しかった。

対応してくれた会社のフィリピン人スタッフには感謝している。

こうして僕は日本に帰国することが出来るようになった。

タクシーでNAIA第1空港の敷地内に入るときはPCR検査陰性証明書とトラベルパスを確認され入口付近では飛行時間によって入場制限をかけていてなかなか空港内に入れなかった。

空港スタッフや搭乗予定者はみんなマスクとフェイスシールド着用が義務付けられ厳しいルールのもとで手続きを行っていた。

時間になりやっと空港内に入場できチケットカウンターへ並ぶ。

ここら辺はコロナ前と変わらず必要な書類などはなかった。

意外にも空港内では物事がスムーズにいきゆっくりすることが出来た。

お土産を買いたくてもお店はほぼ閉まっていて開いてるのはカフェくらいだった。

僕はスターバックスでコーヒーと軽食を頼み搭乗時間を待っていた。

こんなに人がいない空港は初めてだ。

いつもは人が多すぎてイライラしていた場所も人が少なくなると寂しいものになる。

早くコロナがおさまってほしいな。

心の底からそう思った。

搭乗時間になり待機場所へ向かう。

ここもさっきと同じで人は少なかった。

こんな人数しか乗らないのに飛行機を出してくれるなんてありがたい。

今まで数人しか搭乗者のいない飛行機は何度か乗ったことはあったが感謝することはなかった。

1列全部僕のスペースだくらいにしか感じなかった。

今回は本当に感謝しかない。

とりあえず日本に帰れる。

出された食事は今までと変わらないものだったような気がする。

夜間飛行なので僕はマスクとフェイスシールドをしたまま眠りについた。

朝5時頃、僕は仮眠を終え窓に目を向けた。

眩しい朝日が見え少し下を見れば地上が見えた。

日本だ。

やっと帰ってこれた。

フィリピンに居たときは別に帰りたいとか思ったことないしって言っていたがここまでくるとやはり嬉しいものである。

多少の振動はあったが無事成田に着陸して空港へと向かった。

しかし、やはり人がいない。

フィリピンよりも空港が大きいぶんもっと寂しい気持ちになった。

搭乗者は通路に集められこれから唾液検査か鼻に綿棒を入れるPCR検査を行い次の部屋に行くことを知らされる。

僕は着陸1時間前に水分を取ってしまったので唾液検査ではなく綿棒を鼻に突っ込むPCR検査となってしまった。

PCR検査が終わり次の部屋へと連れてかれる。

そこには自分のスマホに政府が作成したアプリケーションのインストールや自分のメールアドレスを登録する場所があった。

途中でトイレに行った時に何故か次回大当たりが出ていた。

係員さんにはアプリケーションとメールの送信時に位置情報などが含まれていることを知らされ自主隔離中に外出しないように管理するためだと僕は理解した。

スマホを2台持っている人は簡単に外出できちゃうんじゃないかな。

そんな疑問も湧いてきた。

アプリケーションのインストールとメールアドレスの登録を終え、僕は陰性証明が発行される部屋に入り陰性証明をもらった。

陰性証明が出た人はイミグレーションを通過しスーツケースを持って外で待っているバスへと向かうことになる。

これから3日間政府が用意してくれるホテルで過ごしてその後に各自用意した乗り物で帰宅して自主隔離となる。

隔離は合計で14日間でホテルでの滞在期間を引いて、残り11日間となる。

バスの中に入り係の人が喫煙者と禁煙者をホテル別で分けた。

喫煙者は先に降りて禁煙者は後に降りる。

僕はタバコは吸わない人だから後に降りた。

成田空港からバスで5分ほどの近いビジネスホテルだった。

レセプションでは係員さんが待っていて用意された用紙に個人情報を記入することになる。

記入後、僕は10階の1015室に案内された。

僕はこの部屋で3日間何もせず生きていかなければならない。

今まで比較的自由に生きてきた人間が急に狭い世界に閉じ込められて絶望を感じていた。

たかだか3日間なのに。

朝昼晩とお弁当が用意されてドアの前に置かれる。

「お弁当の用意ができましたのでドアを開けて静かにお取りください。」

館内にアナウンスが流れて僕はドアを開けてお弁当を取る。

ただ帰国しただけなのに無料でホテルを用意してもらいお弁当まで出してくれる。

こんなにありがたいことはない。

最初はそう思っていた。

しかし、2日目になるとそんなことは感じなくなって「早く出たいな」とか「飽きた」などネガティブになってくる。

隔離中も会社ではみんな働いている。

なんか申し訳なく思っている自分は仕事人間なのだろう。

幸いにも無料Wifiは繋がっておりリモートでミーティングなどは出来た。

ニンテンドースイッチも持ってきていてゲームなどもやるが何故か気持ちが乗らない。

ただつまらなくなってしまったのだ。

窓の外を眺めて飛行機が飛んでいくのを何回見たことか。

「時間ってこんなに進むのが遅いんだ。」

YouTubeを見ても長くは見ていられない。

とりあえず僕は寝た。

必要以上に寝た。

そして3日目の朝に唾液のテストがあり陰性であれば午後にホテルから出られる。

陰性だという知らせがあり僕は荷物をまとめて外に出た。

ホテル内では「つまらない」とか「早くこんなところ出たい」と言っていたが振り向いて見ればそこには多くの係員さんが帰国者の対応をしていて「お疲れ様でした」や「お気をつけて」と声をかけてくれていた。

ありがとうございます。

やはり感謝が強くなった。

自主隔離は続くが帰国できたことに感謝して生きていこうと僕は思った。

ホテルからバスで空港まで連れていってもらいここからは各自解散だ。

(ルールではここから公共交通機関を使って帰宅してはいけない。)

僕は成田空港の外にあるトヨタレンタカーで乗り捨てタイプの予約をしていた。

しかし、僕が予約していたトヨタレンタカーは空港外にあるためどうやって外に行けばいいのか分からない。

試しに歩いて外に出れるか第3空港方面へ行ってみた。

バスターミナル付近で道が分かれていて外に出れそうな道があり僕は進んだ。

チェックポイント付近にパトカーが止まっていて僕は警官に聞いた。

僕「ここから歩いて外に出てもいいですか?」

警官「いいですよ」

いいんだ。

空港を歩いて外に出るなんてボスニア・ヘルツェゴビナ以来だな。

僕は空港を歩いて外に出た。

そこから1Kmくらいのところにトヨタレンタカーがあった。

僕はオフィスに入り予約画面を店員さんに見せた。

もうすでに僕が乗る予定の車は外に用意されていた。

トヨタ・ヴィッツだった。

群馬に帰ろう。

そして一刻も早くコンビニに行って甘いものとパンを食べよう。

おにぎりもいいな。

そんなことを考えながら車に乗りいつもとは逆のハンドルと走行車線に戸惑いながら運転をして群馬に帰った。

しばらく日本で運転はしていなかったが10分も経てば慣れた。

やはり僕は日本人だったんだな。

これから11日間僕は自主隔離に入り本社のオンラインミーティングとフィリピンのオンラインミーティングに参加しながら仕事を進めていく。

世間ではリモートで仕事が進められていると聞いたが現場主義の自分がリモートで仕事をするなんて考えてもみなかった。

戸惑いながらもミーティングは日々行われていく。

そして毎日政府からのメールが届き指定時間までに返信しなければならない。

この返信メールで居場所などがわかるのだろうか?

よくは分からないがとりあえず毎日返信した。

自主隔離8日目あたりでアプリとメールの返信が出来なくなり焦る。

そしてその後にニュースで自主隔離中の300人ほどが連絡が取れない状況と出ていた。

この300人が全て外出したりルールを破っているわけではないと思う。

返信したくても何かの不具合で出来ないのだ。

この報道で自主隔離者への風当たりが悪くなりそうなのが怖い。

メディアはちゃんと報道してほしい。

連絡が取れないのは間違っていないのだが返信したくても出来ない人もいた。

そこまで裏を取ってほしかった。

とりあえず11日間の自主隔離期間が終わり僕は外出解禁となった。

このコロナ禍の状況で帰国や渡航は非常に難しいと痛感しました。

そして早く人々が自由に国を行き来出来るようになってほしいなと思います。

僕はまたフィリピンに戻る予定ですのでその記録も後ほど書こうと思います。

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