フィリピンでコロナウィルス陽性になってしまった。 まさか自分がかかるなんて・・・。

雑談

僕は日本にいた。

仕事はフィリピン工場の駐在者であり基本的にはマニラにあるマカティという街に住んでいる。

しかし訳あって2021年4月後半、僕は日本に帰国した。

フィリピンから日本に帰国した時の状況は別ページで書いてますので興味のある方は見てください。

日本でホテル隔離と自主隔離を終えて本社とのミーティングを終えた後に僕はすぐフィリピンに行くことを決めた。

なぜかというとフィリピン工場の日本人は僕しかいないからだ。

今はフィリピン人のみで生産稼働していて詳しい状況はわからない。

不安だ。

本社からフィリピン工場の状況はどうなってますか?と言われてもちゃんとした回答が出来ない。

フィリピン人スタッフを信用していないわけではないがやはり不安だ。

海外駐在を経験した人ならご存知かと思うが日本とは勝手が違うのである。

部下をコントロールするのがこんなに大変なのかと嫌というほど思い知らされる。

僕のスキルが低いというのも要因のひとつであろう。

僕はとにかく早くフィリピンに戻りたかった。

先に行っておくがフィリピンが大好きなわけではない。

工場の稼働状況が不安なためだった。

僕はマニラ行きの飛行機のチケットを予約しすぐに出発できるようにした。

確かルールでは出発72時間以内にPCR検査をして英語の陰性証明を医者に作ってもらわなければならないはずだ。

僕は指定された病院に行きPCR検査をして陰性証明をもらってきた。

荷物もまとめたし本社の社員さんにも挨拶をして成田空港に向かった。

自主隔離中は公共交通機関での移動は禁止されていたが今は新幹線と京成スカイライナーを利用できる。

普通の生活ができるって当たり前じゃないんだな。

そして日本のコンビニのスイーツや食事の美味しさ。

フィリピンとはやはり違った。

フィリピンにも同じくらいのクオリティーを持っている飲食店は多いが日本よりも値段はお高めだ。

自動販売機もほぼ無い。

日本の優秀さを改めて思い知り僕は成田空港へ到着した。

時間が早かったためチケットカウンターは閉まっていて僕は空港内のマクドナルドで時間をつぶした。

電光掲示板でチケットカウンターがオープンしていることを確認してセブパシフィックのカウンターへ向かった。

結構並んだ。

帰国時よりは乗客が多い。

僕の番になりカウンターの係員さんにPCR検査の陰性証明を提出する。

ここで係員さんは衝撃的なことを言った。

係員「フィリピン行きには陰性証明の提出義務はございませんので」

僕「え?」

確か書いてあったよね?

今はいらないみたいだ。

ということはこの飛行機に乗る乗客の中で陰性が証明できるのって僕だけじゃ無いかな?

少し怖くなった。

そして僕がフィリピンへ入国するために取得している47a2ビザ、通称PEZAビザ取得者の入国が審議に問われていた。

なぜかというと僕がチケットを予約した時には47a2ビザは入国緩和に入っていたのだが先日ホームページの内容が変更されていて47a2条件付きになっていた。

その条件とは政府関係の仕事に携わる人間のことをさしていたみたいだ。

しかしよく考えてみれば政府関係の仕事をしている人は基本的に9eを取得するのではないか?

その疑問を係員に投げかけそして僕はフィリピン工場のスタッフがフィリピン国内でPEZAビザ取得者の日本人がこの日に帰ってくるから許可してほしいという証明書も一緒に提出した。

係員さんはフィリピン側に聞いてくれると言って奥に行ってしまった。

この時のフィリピン入国の条件はこれだけではない。

日本出国前に事前にフィリピン政府が指定したホテルを最低10日間予約しなくてはならない。

僕は政府が指定した中で一番安いホテルを予約していた。

日本帰国時の3日間ホテル隔離の時とは違いこの10日間は自腹である。

そしてこの10日間の中で入国後6日目にPCR検査をして8日目に陰性が出たら10日目にホテルを出て自分の住んでいるコンドミニアムに帰れる。

帰る時も一般の人たちとの接触を避けるためパーテーション設置済みのタクシーでの移動となる。

コンドミニアムにも事前に隔離期間の住人が戻ると通知しなければならない。

セブパシフィックのチケットカウンターで回答を待っていた僕のところに係員さんが戻ってきた。

係員「多分大丈夫みたいです」

僕「ありがとうございます」

多分という言葉が気になったが僕はチケットをもらいイミグレーションを通過した。

フィリピン人スタッフに買っていくお土産を選びたかったがあまり空港内のショップが開いていなかったため買うのをやめた。

日本からアマゾンで買えるからいいや。

面倒くさくなってしまった。

近くの工場にいる日本人に免税店でタバコを買ってきてくれと言われていたのでとりあえず買っておいた。

聞けばあまり値段は変わらないみたいだ。

しかしフィリピンで日本製のタバコは値段が高くそして定期的に入手するのが困難だと言っていた。

買い物を終えて僕は搭乗ゲートまで歩く。

帰国時にも思っていたがこんなに人がいない空港は初めてだし寂しい。

早くみんなが自由に旅行を楽しめるようにならないかなと思った。

搭乗ゲート待合場所で僕は飲み物を自販機で買った。

搭乗時間になりいつもより少ない人数が並んでいた。

僕は最後の方に入りゆっくりと席についた。

乗客が少なかったせいか飛行機はすぐに出発し離陸した。

僕は少し疲れていて寝てしまった。

起きた時はすでにマニラの夜景が見えていて僕の気持ちは少し落ち着いた。

ニノイアキノ国際空港ターミナル3に着陸した。

着陸後すぐに出口に向かった。

そこにはイミグレーションではなくしばらく待機するような場所であった。

空港職員から紙を渡され自分の個人情報やどこのホテルに宿泊するのか?そのあとはどこのコンドミニアムに帰るのか?など詳しく記入することとなり疲れに疲れを重ねることになる。

記入した個人情報と事前にネットで取得していたQRコードを職員に見せて次の場所へと行かされる。

ここでは先程記入した情報を口頭で伝え記入した用紙も一緒に提出した。

そして一度席に戻されてまたしばらく待った。

僕の名前が呼ばれ僕は職員のもとに行く。

そしてこれから宿泊するホテルで6日目にPCR検査をするための費用を支払う。

やはりこの国はお金がないんだな。

僕が日本人という外国人扱いではなくフィリピン人も、もれなく支払いをしていた。

支払い後に領収書をもらってイミグレーションへ行く。

そしていつもはすんなりと通してくれるはずのイミグレーションでまた僕が取得している47a2ビザについて入国できるかの問い合わせをするからとしばらく待たされた。

出国前と同じ説明をフィリピン側でもしてイミグレーションには納得してもらった。

もしかしたら追い返すのも問題になるからとりあえず入国させちゃえみたいな感じだったかもしれない。

確かにこの時の情報で言えばグレーな部分でもあったし追い返されても文句は言えなかったと思う。

昔見た映画のターミナルみたいに空港内に閉じ込められるのだけは勘弁してほしかった。

とりあえずフィリピン入国には成功した。

そして外に出てタクシーが来るのを待った。

いつものタクシー乗り場とは違い外に出てから左側(BAY8あたり)にタクシー乗り場が変わっていた。

待っている人はほとんどいないためすぐにタクシーに乗れた。

僕は自分の住んでいるコンドミニアムの近くにあるユーロテルを選んでいたのでそこまで乗せてもらうことにした。

いつものようにスカイウエイに行きドンボスコで降りてもらう。

そしてユーロテルに着いた。

レセプションの女性に部屋に入ったら絶対に出てはいけないよと言われた。

僕は食べ物を何も持っていなかった。

時間はもう夜11時を過ぎていてリクエストすれば何か買ってきてくれるのか聞いてみた。

女性「これから10日間朝食は出るがそれ以外はルームサービスかグラブフード(日本で言うウーバーイーツ)を頼むしかない。しかし今日はもうこんな時間だからそういうサービスはやっていない」

僕は空腹だったため何か買いたかった。

女性「そんなに何か買いたかったら近くにセブンイレブンがあるから部屋に入る前だったら買ってきていいよ。でも1回部屋に入ったらもう出れないよ」

これが外に出れる最後のチャンスだと思い僕はすぐ外に出て大量のコーラやお菓子を購入した。

10日間甘いものが手軽に食べられないなんてありえない。

ホテルに戻ってきた僕はそのまま部屋に入った。

そしてここから10日間この狭い部屋で過ごすこととなる。

日本のホテル隔離と同じで何もしない生活が始まった。

この時2021年5月12日である。

朝食には美味しくないお弁当が用意され仕方なく食べた。

とりあえず空腹は満たされてまた何もしない生活へと戻る。

インターネットはお世辞にも速いとは言えない。

昼食と夕食はグラブフードで日本食を配達してもらった。

これくらいしか楽しみがなかった。

今思えばフィリピンに到着してからATMでお金をおろす時間は無く、もし今の状況で現金がなかったらと思うとゾッとした。

何もしない生活。

しかし2日目に少しだけ違和感を感じた。

少し熱があるな。

ボーッとしてる。

なんか匂いと味がよく分からない。

この違和感は長く続かず1日もすれば元に戻っていた。

6日目になり政府の人間が部屋を訪れた。

PCR検査だ。

2日目に起きた違和感以外は何もなく僕は陰性を確信していた。

そして8日目に電話がかかってきた。

政府からだ。

政府関係者「あなた陽性でしたよ」

僕「えっ?」

政府関係者「今日の夜に施設を移動してもらうことになるから荷物をまとめておいてください」

そのあとホテルのレセプションからも電話があり「陽性者はこのホテルにはいられませんので政府関係者が迎えにきたら速やかに出て行ってください」

そう伝えられた。

僕は日本の本社とフィリピン工場のスタッフに電話して陽性であること、そして今日中に移動しなくてはならないことを伝えた。

本社とフィリピン工場で初めての陽性者となってしまった。

とりあえず症状はなくてよかったと本社からは言われた。

こんな事ってあるんだなとしばらく何も考えられなかった。

しかし、時間は過ぎていく。

夜になり政府関係者が防護服を着て部屋に入ってきて僕のスーツケースを持ってくれた。

一度地下に行きそこから歩いて表に出る。

一般人との接触を避けるためだ。

外には救急車が待機していて僕はその救急車に乗ることとなった。

中に入ると3人のフィリピン人女性がいて彼女たちも陽性判定を受けてこれから一緒に施設に行くんだなと理解した。

救急車は出発して隣町のマラテ方面へ走っていた。

外出禁止令が出ているのに車は多かった。

渋滞に痺れを切らせた運転手はサイレンを鳴らし前方の車を煽っていた。

その甲斐あってか15分ほどで陽性者隔離施設に到着した。

陽性者隔離施設といってもここはマニラプリンスホテルではないか。

僕がイメージしていたのは汚いドミトリーのような場所に何人も詰め込まれる感じだ。

しかしフタを開けてみれば高級ホテルの1室ではないか。

先程まで宿泊していたユーロテルとは格が違う。

レセプションには用紙が用意されていて個人情報や食事に出されるものの中でアレルギーがあるかなど陽性隔離者に細心の注意を払った対応だった。

そして部屋に通されたがやはり高級ホテルのそれだった。

陽性者はここで隔離延長10日間らしい。

ここだったらまぁいいかな。

不謹慎だがそう思ってしまった。

本社にも連絡してこれからの予定や仕事の進め方などを報告した。

しかしユーロテルに宿泊していた時とは違いホテルで出されたものしか食べられないのだ。

リクエストがあれば言えたかもしれないがこんな良いホテルを提供してもらってこれ以上わがままを言ってはいけないと思った。

食事はフィリピン料理がタッパーに入ってドアの外に置かれる。

そして毎朝防護服を着た職員が体温と酸素飽和度を測る機械で計測していく。

それ以外は基本的に何もしない生活。

高校を卒業して今までこんなに何もしない生活をしたことがなかった。

もうどんなにあがいてもこの部屋からは出れないんだから思い切ってゆっくりしようと決めた。

窓を開けて外の景色を眺めればマニラ港が見える。

外から流れてくる風の心地良さを感じていた。

そして夜になるとニンテンドースイッチを楽しむ。

ときには本社やフィリピン工場とのZoomミーティングをすることもあるがそのほかは何もしない。

そしてフィリピン工場のマネージャーから僕宛に郵便物が届いた。

差し入れではないか。

カップラーメンやお菓子など生活に必要なものが入っていた。

ありがたい。

毎食のフィリピンフードに少し飽きてきてたからカップラーメンは本当にありがたかった。

そしていつもより美味しくいただきました。

差し入れの中には書類が入っていてサインをしなければいけないものばかりだった。

これぐらいはすぐやりますよ。

支払い小切手や税金支払い証明のサイン。

とりあえずすぐやった。

隔離期間も後半に入るとやはり飽きてきたが何もしないを楽しんでいた。

8日目の午後に同じ日に隔離になった人たちがロビーに集められドクターの検診を受ける。

検診を受けるとはいえPCR検査や唾液検査ではなくただの問診で聞かれたことを口頭で回答するだけだった。

ドクターに聞いたところ陽性判定を受けてこのホテルに隔離されている人は重症者がいないし自宅隔離になっているお年寄りが重症化して死亡するケースの方が多いと言っていた。

我々は偽陽性なのかな?

そんな疑いもあった。

そんなことより自宅隔離のお年寄りが多いのなら交代してあげたいとも思った。

隔離9日目の夜は最後の夜に取っておいたカップラーメンを食べて出所の前夜祭を1人で祝った。

そして窓を開けて最後の夜の景色を目に焼き付けた。

隔離10日目の朝を迎えて僕は晴れて出所できることとなった。

ここで少し疑問に感じていたのが出るときにPCR検査は無い。

彼らが言うには陽性判定者は回復するか重症化するだけだから時間が経過した人は検査の必要はないという見解らしい。

それで本当に良いのか僕は判断できないがルールであれば仕方ない。

僕はマニラプリンスホテルにタクシーを呼びロビーで待っていた。

待っているときに何やらホテルの別館が騒がしいではないか。

職員に聞くと別館は今ワクチンの接種会場となっていてこのホテルではファイザー製が提供されているみたいだ。

製造元を言ってしまっても良いのだろうか。

テレビでは連日ワクチン接種の議論がされており現在では接種前に製造元を公表しないことになっている。

ワクチンを打つ直前に製造元を公表して2回目に打つ時も同じワクチンを打つように指示される。

これをフィリピンのマスコミと国民は製造元を選ぶ権利はないのかと批判していている。

実際最初は製造元を公表していたのだがあまりにもファイザー製のワクチン会場に行列ができて中国製ワクチン会場には人が全然来ないといった現象が起きた経緯があるから製造元を公表しないようにしたのだ。

しかし国民は製造元を選ぶ権利が我々にはあるはずだと政府を批判している。

このことを国民はワクチンのロシアンルーレットと揶揄している。

僕もいずれワクチンを打たなければならないだろう。

フィリピンで打たなければいけないのであればなんとか日本人の情報網を駆使してファイザー製かモデルナ製あたりを打てるようにしよう。

今回はフィリピンでコロナウィルス陽性になって大変な思いをしました。

体調は問題なかったのですが対応が大変でした。

多分これを主導している政府や医療関係者はもっと大変なのかもしれないと思います。

あれだけ注意していたのにも関わらず陽性になるなんて。

いつどこでなるのかは分からないし、いつどこでもコロナウィルスになるんだなと危険を感じました。

ならないように気を付ける、なってもネガティブにならず迷いなく他人を頼ることをしたほうがいいと思います。

早くマスクなしで生活できる世界になってほしいな。

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