Leica M9-Pで撮る溧阳 その2

カメラ・写真

僕は中国で暮らしている。

本当は蘇州の呉江という田舎に住んでいるのだが長期出張で溧阳という街で暮らしている。

溧阳と書いてリーヤンと読む。

僕のアパートがある場所も呉江と書いてウージャンと読む。

よく分からない。

中国語は話せない。

前職はフィリピンで働いていたので英語は最低限話せる。

しかし中国語は難しい。

いつも勉強しなくちゃと思いながら違うことをしている。

フィリピンのタガログ語みたいにカタカナ読みではあまり通じない。

しかしそれでもいいのかもしれない。

いつも頼むビールや食べ物はさすがに話すし通じる。

いざ仕事や生活でコミュニケーションを取ろうと思うとかなりの時間を要する。

そして決まって最後は翻訳アプリにお任せだ。

いつになったら独り立ちできるのであろう?

少しずつでいいから間違ってもいいからやってみようではないか。

この街には3ヶ月くらいしかいない予定だからいろいろと恥をかいて地元に帰ればいいじゃないか。

せっかく中国で仕事ができるのだから帰るまで何か成果をあげたい。

そう感じていた。

僕のアパートがある呉江は田舎だ。

大きなモールなどない。

日本人は数人しかいないらしい。

住んでみて感じたことは英語も日本語も通じない不便な場所に来てしまった。

そう思ってみたものの日本に来た外国人はみんなそう思っていたのだろう。

日本人は日本語だけ話せれば問題ないのだ。

一生英語を話さなくても問題なく生きていけるのだ。

それはここでも同じだった。

みんな中国語が出来ればいいのだ。

まあ中国語といっても方言があるから厳密にいえば何を言っているのか分からない中国人もいるらしい。

しかし自分が外国人という立場になって来てみると大変だ。

振り返ってみればフィリピンは案外楽だったんだなと思った。

中国語を覚えて少しでも便利に過ごせるようにしよう。

自分から中国で働きたいと言って会社に入った以上はいつまでいるか分からない。

日本の本社で仕事をする事なんてないだろうな。

海外駐在者は各国いるが必ず10年以上住んでいる強者がいる。

僕もこのままいくとその人たちの仲間入りをしてしまうかもしれない。

フィリピン生活は5年で幕を閉じた。

ここでは分からない。

言葉をある程度覚えたころから自由度が上がって言った記憶がある。

少しでも早く生活や仕事の自由度を上げるため努力しよう。

そう思って参考書を開いては閉じる時間が続く。

さっき僕の住んでいる呉江は田舎だと言った。

しかしここリーヤンはもっと田舎だ。

かなりノスタルジックな世界で写真の撮りがいがある。

ライカの実力は正直よく分からない。

でも撮り続けてみよう。

何かが変わるかもしれない。

※このページの写真はすべてAKIRA YOSHIZAWAが撮影しました。

※このページの写真はすべてLeica M9-Pとズミクロン50mmf2.0で撮影しました。

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