写真を撮るということ

カメラ・写真

写真を撮る。

今では誰もがいつでもどこでも綺麗な写真を撮ることができて人々の記憶や記録に残すことができる。

もう特別な存在ではないのだ。

しかし人々の大切な思い出になったり企業の大事な記録となる。

特別な存在ではなくなってしまったが人々にとってなくてはならない存在であることには変わりないのだ。

その1枚1枚が大切な役割をになっていて写真は必要とされているのだ。

私を含めた写真家という立場にある人間からすれば出来上がってきた写真だけでなくカメラという存在自体が重要でありどのようにそのカメラを扱いどんな写真を撮りたいかをイメージしてシャッターを切っているのだ。

私は正直言って写真コンクールなどで賞を取る作品についてはそんなに気にもしていないのだがやはりカメラを使う人間のなかでどういうレベルにいるのだろうか?どういう写真が人々から好まれて仕事となっていくのだろうかを確認したかった。

私自身が他人の写真に口を出して批評することなんておこがましいのだ。

しかし自分がとった写真が他人から見てどう思われているのかは気になっていた。

「綺麗な写真だね」

「どこでこの写真撮ったの?」

「どうやったらこんなふうに撮れるの?」

スマホで写真を撮る人たちはだいたいそんなことを聞いてくる。

同じ場所から同じカメラで同じレンズを使ってシャッターを切れば同じ写真が撮れると思っているのだ。

つまり結果をイメージしてこんな写真を取ろうという気持ちでシャッターを切るのだ。

うまいとか綺麗だなんてどうでもよく一般の人から見てもよく分からないという回答が嬉しいのだ。

先生と呼ばれる人たちに自分の写真を見てもらって評価をしてもらいたかったのである。

カメラを少しでもやっている人なら当たり前のことだ。

だから私が良いと思っている写真が評価されるかどうかで自分の写真とそれを選ぶ目のレベルを確認したくてコンテストに出してみたのだ。

結果は「ノミネート」と「佳作」

中途半端な結果だったがとりあえず自分の作品が少しでも評価されたことにホッとした。

自分がどの方向を向いて写真を撮っているのか分からなかったから。

そして自分が間違っていないことに気づけてよかった。

しかしコンクールに出して気づいたことがある。

今回日本と海外のコンクールに応募したが日本は使ったカメラとレンズの情報を出すのだが海外のはカメラ、レンズ、加工したかなどの情報入力はなくその写真だけの応募となるのだ。(もちろん題名は付けるのだが)

そして日本のコンクールについては端にも棒にも引っかからなかった。

海外に応募した作品は両方とも引っかかった。

事情はよく分からないがこれからは海外のコンクールに絞って出品してみよう。

自分の写真家としての立ち位置をもう少し確かめてみたいと思う。

これからもずっと写真を撮り続けられるように。

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